37,定額給付金と子供たちの思い

平成**年*月**日息子が元夫に定額給付金をもらいたいと言うと
「おまえの制服がいくらかかってると思ってる!!」
「お前もお母さんと同じでアホになった」等々かなりひどい言葉を浴びせたらしく、挙句に自室のふすまをはずれてしまうかと思うほどわざと パン!パン!なんども開け閉めしているのが、2階で仕事中だった私もびっくりするほどでした。離婚体験記
仕事が終わり、息子の部屋をのぞくと息子は我慢していたものがせきを切り、泣き叫び
「もう、我慢しないもう、我慢しない」と感情が切り裂かれたような泣きかたを繰り返します。
何を言われたのか聞いても私のために言いません。
私が「お母さん、お父さんに文句言ってくる!」というと
「言わんでいい。自分で言う」と泣き続けます。
目の前で喧嘩することは避けられないと思う中で 子ども達の気持ちを考えると冷静にならなければと思い、なんとか息子をなだめることに必死になりましたが
翌日も息子はなかなか起きてこず、食事も殆どとらず、顔色も悪く、相当にショックを受けていることは見てとれました。
また娘が
「翔太のために、お父さんに文句言ってやろうと思ったけど、お父さんに殺されるかもしれないと思ってできひんかった
と弟を助けることができなかったことを責めていました。
子ども達にも 父親の異常性がはっきり認識されている今となっては、一日も早く出て行かなくてはならないと決意しました。
元夫は息子が大声で長時間泣いていたことも知りながら、息子をキズつけた翌日も帰ってきてからふすまを激しい音をたてながらバンバン!開け閉めし続け反省など全くありません。

平成**年*月**日、元夫は夜10時40分帰宅し、寝ている娘を起こし封筒に入れた4万円をまわりくどく「仕方なくやる」として渡しました。
娘は夜中起こされたので、元夫が何を言っていたかは覚えていないが、文句みたいなことを言っていたというのです。

38,元夫の母の死

平成**年*月*日、*********行きがなんとか、子ども達の笑顔を取り戻すきっかけになってくれることを祈りながら出発しました。
自宅を出る際においておいたレコーダーには後日確認したところ、
「死ね!死ね!クソ!だぼが!」と 恐ろしい言葉が 出勤するまでの間、何度も録音されていました
離婚体験記そして、その夜10時半頃に娘に届いたメールには 義母がこの朝亡くなったと主人からありました。
私は、**のホテルでその夜、一睡もできませんでしたが、なんとか亡くなった義母のことは 私と主人のことと同様にしてはいけないと 死ぬ思いで、葬式に出席しようと決めたのです。
しかしながら、飛行機は新たに購入しなければ(1人2万)早く戻ることができなかったので、通夜には子ども達も間に合いませんでした。
その際の主人と娘のやりとりは 主人から「無理しなくていい」など 東京に出かけてしまったことと義母が亡くなってしまったことは、偶然であるととらえ仕方がないという認識であると、とれました。

平成**年*月*日最終の飛行機で****空港から夜中12時半に自宅に着きました。
帰途の際に元夫からメールで娘に翔太と2人で葬式に出るようにとメールがありました。
私は、ショックでしたが どこまで、私を蔑視し、除外すれば気が済むのかと苦しく思いましたが、子ども達はおばあちゃんをなくしているのだから、これ以上、子ども達の負担はかけられないと思い、平常を保ちました。
元夫は子ども達を迎えに来た際、娘に「お母さんに買ってやった数珠を持ってこい」と言い、私の存在は無としていると その時も痛感しました。
一言もなく、子ども達に「早く、早く」とせきたて 途中一度、子ども達に着替えさせ、夜親族だけでお経を上あげる時でも子ども達をせきたて連れて行ってしまいました。
私は孤独と強い馬鹿にされ虐げられたような気持ちで沈みました
それなのに、
平成**年*月*日から狂ったように毎晩 悪態(壁をたたきまわり、ふすまを何度も激しい音をたてて開け閉めを繰り返す)暴言(死ね!殺すぞ!だぼが!くたばれ!わしを誰やとおもっとんねん!ちょんこ!)など8時に帰宅してきて夜中2時まで続くのです。そして朝方起きてから出勤するまでもです。
中でも、信じられない絶対に許せない言葉がレコーダに録音されていました
「ちょんこ!」「朝鮮人なんか皆殺しにしてまえ!」です

私は帰化して日本国籍を持っておりますが、自身のルーツを卑下したことはありません
子ども達にもいつか、元夫そろって 私が韓国人というルーツがあること、おじいちゃんおばあちゃん、
おばちゃんもそうであることを、胸を張って伝えたいと思っていました
しかしながら、どこかで 元夫にこういう差別意識があることを 感じていたのです。
この差別用語を許すことはできません
そして、「なんで おかんに 泣いてごめんなさいといえんのじゃ!」と録音されています。
元夫のやり方で辟易しますが、自分が列席させず 周りにわたしをひどい女と思わせる思惑をまっとうしながら、次は私の責任にするのです。離婚体験記
私の両親に対してどれ程の裏切りと蔑視してきたかはさておいてです。
別居予定日までに私は殺されるかもしれません。
元夫が安福家に汚名をつけたくなくて私を直接手にかけずとも私も子どもも毎晩、このような狂った様相を見せられ苦しめられ、心が死んでしまいそうです
子ども達には笑って「お母さんの占いではお父さんは絶対に何も出来ないって出てるから安心して」と安心させるよう勤めています
しかしながら、全員表情は暗いのです

39,別居の開始

離婚体験記平成**年**日に子供たちと3人で自宅に置手紙を残し別居を開始しました。
ここまで来るのに何年かかったことでしょう。
しかし、私たちの平穏を取り戻すためには、最後に元夫との離婚手続きが残っているのでした。
別居後は身の回りの家電製品などの調達などには苦労しましたが、
元夫からの恐怖におびえることも無くなり、精神的には豊かになりました。

別居後娘が残してきた教科書を取りに家に戻ったのですが、そこには目を疑うほどの光景がありました。

閉め切られていた主人の部屋は 開けられ 家の中には 最新の家電製品であふれ
まるで、各部屋がモデルルームのように 整えられていました

二階が主に 私と子供たちの 居住でしたが まったくの 名残なく
カーテンも新品。
一つの部屋も無駄のないように 自分の城にしておりました。
女性でも、これだけのセンスを持ち模様替えできる人は 少ないと思います。

いずれ取りにくるつもりでおりました 残りの衣類や 愛読書など もちろん
娘の教科書も全てが無くなっていました。

娘はショックだった様子で
「そんなに 私らが 邪魔やったんや」と
一人暮らしを 謳歌している様子に 驚いていました
料理も洗濯も 完璧にこなしている様子でした

一ヶ月もたたないうちに
ここまで、私や子供たちのことを 無にできる 心境が 理解できません。

改めて「追い出された」のだということを
実感しました

迷っていた私の心は開かれました。
「子供たちのためにも調停で離婚をする。」


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