離婚体験記

はじめまして。
私は清川えつ子と言います。

現在、占い師として皆様の心のサポートをしております。
そんな私ですが、最近まで元夫との離婚のために闘っておりました。
以下私が離婚を決意するまでの数十年と離婚を決意してからの3年間を記載します。

ただ、私は単に離婚は大変だということを皆様に知らせたくてこの体験記を書いたのではありません。

私はこの体験記で離婚とはどういうものなのか、どれくらい複雑であり、ダメージが大きいのか計り知れない不安に立ち向かうのに 離婚を決意してから約3年掛かりましたが、殆どその不安は不要であった離婚だったといえると思います。

今、私は元夫との結婚生活が決して無駄ではなく、私にとって 精神的な成長には欠かせない時間であったとさえ、思えるのです。

これは、とても幸せなことだと感謝しております。
恨みだけで立ち向かっていては、とても、このように前向きにはなれることはなかったと思います。
実際に元夫と戦い離婚が成立した過程において
負の経験からプラスに向かっていくことは、思っているよりもシンプルで自然なことだと気付きました。

この体験記を読んでくださっている方が少しでも離婚時の苦労が和らぎますように。
そして、離婚までの体験をすることは決して無駄ではないことを伝えたいと思います。

1、妻の元夫桂敏郎との出会い

19**年*月 
当時19歳の私は友人2人とスキー旅行へ信州までバスで行くことになる。体験記
女3人のため だれか一人が見知らぬ人と
相席にならなければならずじゃんけんで
負けた私が元夫(元夫はスキー宿へ アルバイト居候のため一人でバス に乗り込んでいました)

私は男性ということもあり気が乗らずにいましたが、
同じ年で礼儀正しい元夫とすぐにうちとけ色々と話しました。
途中、気分が悪くなった元夫に胃腸薬を渡したことで元夫が感謝しバスを下車した場所は違いましたが、1ヵ月後に元夫が居候のアルバイトが終わり、当時**市の**でひとり暮らしをしていた元夫は、お礼に食事をおごると連絡がいあり、再会することになりお付き合いが始まります。

2、在日朝鮮人への元夫からの差別的発言

まだ元夫に私の両親が在日朝鮮人であることは話したことがなかった、
お付き合いして1年程たったころ、元夫がTVに映る在日朝鮮人の人をののしる言葉を聞き、その場では私は何も言えませんでしたが、お付き合いはできないと決心しました。

幼いころから両親が日本人から差別をされてきた話を聞いていましたので、日本で生まれ育った私も、差別に対する警戒心はいつもありました。

3、元夫との交際

しばらくして元夫に、お付き合いをやめたいと告げました。

私は韓国人であり、理由は先日元夫がTVを見て在日朝鮮人の方を差別していたことを聞いて、未来につながらないおつきあいなので終わりにしたいと話しました。
元夫は泣いて誤り、自分の親がそのような価値観であって自分もそうなってしまっていたことを恥ずかしく思う。 別れたくないと言いました。
体験記 友人の間でも評判に仲の良い私たちでしたし、元夫は人当たりもよく、私を大切にしてくれていたので元夫の言葉を信じることにしました。
それからは、この問題は私たち2人の間で、問題になることはありませんでした。
結婚するまでの約8年間、平成**年まで元夫は私の自宅にはよく来ており、私の家族と食事もよくしていました。
当然、韓国料理も美味しいと言って食べておりました。

また私の母親には「としちゃんとしちゃん」と呼ばれ可愛がられていました。

私の方は、元夫の自宅に行くことは一度もありませんでした。
当時、元夫は***大学にアルバイトをしながら一人暮らしをしておりましたが
ご両親が元夫の部屋に来たことはお父さんが一度きり、お母さんは電話も来た事もなかったので 放任なご両親なのだなと思っていました。

社会人になる前に私は、自分の考えで、生まれた場所である日本を自分の国籍にしようと帰化しておりました。
大手の株式会社で、勤務していたこともあり仕事は充実し元夫とのお付き合いも順調でした。
元夫の方は大学卒業後に勤めた会社を*年程で辞め、**市の実家に戻り靴屋のアルバイトをしていました。
そしてお父さんの口添えで 地元の有力企業へ入社しました。

4、元夫との結婚を決意(平成*年)

私と元夫が**歳になった平成*年、どちらからともなくそろそろ結婚しようかということになり、2人で結婚式場ではなく**市のホテルを数件あたり**ホテルが開いていたので仮押さえと見積もりをして帰りました。

体験記元夫から、自分の親は人から説得されて考えを変えるよう人間ではない、私や私の家族に失礼な思いをさせたくないので、私が韓国人であることは言わずに結婚してほしい。
その辺は必ず何かあったときには、守りますと言われました。

私の両親からも自分の息子同様に可愛がられていた元夫でしたので私の両親も本来ならば隠してまでの結婚など許さないところでしたが 元夫の情熱と、また*年も付き合っておりましたので彼の言葉を信じて結婚をすることを承諾してくれました。

私の親戚さえも、元夫ならということで、この件を全面的に応援してくれました。
*年付き合っても元夫の実家は見えない状態でしたが、元夫を信じていたので元夫のご家族は元夫にお任せしていた状態でした。

元夫の方から元夫の両親から**ホテルで良いとの返事をもらったと聞いて話が進んでいくことになりました。

5、元夫の家族との挨拶(元夫のご家族の怒り)

初めて、両家の両親が会ったのは結納の日でした。
日本式の結納の料理を揃えてくれた母には感謝しておりました。
母にすれば娘が幸せになってくれれば、そのためならなんでも、協力したい気持ちでいっぱいだったのだと思います。
その結納の場で母が元夫のご両親に「2人とも子どもではないので、親はあまり口出しせずに当人たちを見守っていきましょう」と話したことを、
まさか元夫の父親が激怒していたとは 結婚式が終わり新婚旅行から帰ってしばらくしてから知ったことでした。

結納後、電話で元夫に「ご両親は何か言われてた?」と聞くと「何も言って無かったよ」という返答でしたので露にも心配していませんでした。
この件から、元夫の両親は私の母を目の敵にし始めました。
理由は、女が口出しする、子どもの結婚に親が仕切って何が悪いということだったとを結婚後、義父から直に聞きました。

6、ホテルでの結婚式

体験記 結婚式の式の際、韓国では身内全員が祝福するならわしがあります。
とくに母方の兄弟には幼い頃から可愛がられて育った私は、日本式の神式で式を挙げることになんら文句も言わず、内掛け等の着物なども用意して日本人らしい格好で参列してくれた親戚には感謝でいっぱいでした。

今思えば、お父さんからの攻撃が始まっていたことを気付く術もなく私は式の当日も、白無垢姿の私を元夫の方の家族が誰一人見に来てくれないこと、親族同士の挨拶を交わす様子も無かったことを、人付き合いが苦手なのだろうくらいに思っていました。

神式の際、参列してくれた私側の親戚の数の方が桂家の参列者よりも多かったこと、**市のホテルで式を挙げるため私の、両親と兄家族、姉が**ホテルで宿泊したこと、母が本人たちに任せましょうとしたことで元夫の父親の思うような式ができなかったことで怒り満々だったらしいのです。
証拠に、私の母が披露宴中、兄の子どもがトイレに行きたいというので披露宴会場を出る際、主人側の親族のテーブルの近くを通った時、元夫のお兄さんが「あちらに挨拶にいくか、ビールつぎにいくかせんでいいのか?」と元夫の父親に言うと、元夫の父親が「いかんでええわい!」と 怒鳴っていたそうです。

また、満面の笑みで主人が結婚できることが本当に嬉しいと、ずっと式の間、笑っていると新郎新婦席の前まで直にきて、「笑うな!」と怒鳴るので、隣にいた私は元夫のお父さんの独特のユーモアだろうと解釈していましたが、私の方を一瞥して言葉もなく席に戻るので不安が胸をよぎったことを覚えています。

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